エルサレムの歴史をひもとく

Pocket
LINEで送る

4月にエルサレムで起こった衝突をきっかけに、イスラエルとパレスチナの紛争が激化している。
エルサレムが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地であり、そのために対立の舞台になることはよく知られている。さらに複雑な事情を理解するために、歴史をひもといてみよう。

エルサレムはパレスチナ(シリアとエジプトとの中間、地中海東岸一帯)の中心都市で、紀元前 4000年頃に築かれたとされている。

紀元前 1000年ごろ、ダビデ王によって征服されると、古代ユダヤ王国の聖都となった。ユダヤ王国が滅び、新バビロニア、ペルシア帝国、ローマ帝国など支配者が代わっても、ユダヤ人にとって政治的・宗教的な中心であり続けた。

その後、イエスが処刑され、復活した地として、キリスト教の聖地に。 さらに7世紀にアラブの支配下に入ると、メッカ、メジナに次ぐイスラム教第3の聖地とされた。

11〜13世紀にかけて、西欧キリスト教諸国はイスラム教諸国からの「聖地奪還」をかかげ、7回にわたり十字軍を派遣するも多くが失敗。16世紀以降にエルサレムを支配したオスマン帝国は、3つの宗教の聖地を保護した。イスラムの支配下にありながらも、時代を越えて宗教的な共存が続いた。

第一次世界大戦後の1922年にオスマン帝国が滅びると、エルサレムはイギリスの委任統治下に。さらに第二次世界大戦後は、国際連合の管理下に定められた。

しかし、パレスチナにイスラエルが建国されると(1948年)、第1次中東戦争が勃発。エルサレムの西半分がイスラエルに、東半分がヨルダンに組み込まれた。

さらに第三次中東戦争後の1967年に、東半分もイスラエルが占領。イスラエルは統一都市としてエルサレムの管轄権を主張したが、国連はこれを承認せず、今に至る。

多様な国家・民族の文化が重なり合って、今日の混乱がある。当事者でなければ想像することも難しいが、支配者の変遷をみるだけでも、簡単な問題でないことが感じられる。

●参考
日経電子版
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
山川 世界史小辞典(改訂新版)

Pocket
LINEで送る

社会カテゴリの最新記事