4コマで吉田松陰〜功績、生き方、辞世の句をわかりやすく〜

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高杉晋作、久坂玄瑞ら幕末の志士たちに多くを残した吉田松陰。なかなかに破天荒な人生だったようです。

4コマで吉田松陰

解説

早熟の天才

1830年、長州藩士杉百合之助の次男としてうまれます。
名は矩方(のりかた)、通称寅次郎。

山鹿流兵学師範だった叔父の吉田大助が死去すると、吉田家を相続。兵学師範となり、9歳の若さで藩校明倫館で山鹿流兵学を教授しました。

旅に出て見聞を広める

その後、九州・江戸に遊学し、他藩士との交流を深めます。江戸では佐久間象山に入門し、砲術、蘭学を学びました。
さらに、脱藩して東北を旅し、御家人召放しの処分を受けて閉居。

黒船で密航を企てるが失敗

1854年、アメリカのペリー提督が再来航したときには、下田沖からアメリカ軍艦に乗り込んで密航を企てるが失敗。投獄されてしまいます。

松下村塾を開き志士たちを育てる

長州に帰り自宅に幽閉されると、松下村塾を主宰。高杉晋作、久坂玄瑞、入江杉蔵、野村和作、前原一誠、伊藤博文、井上聞多(井上馨)など、幕末から明治期に活躍する人材を輩出しました。

幕府を批判し投獄、処刑

1858年、日米修好通商条約に調印した幕府を猛烈に批判。藩に老中暗殺の計画を提起すると再び投獄されました。

1859年、江戸に送られると、尋問に対してペリー来航以来の幕府の一連の政策を批判。10月27日に処刑されました。

辞世は次のように伝えられています。

身はたとひ
武蔵の野辺に
朽ちぬとも
とどめおかまし
大和魂

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