4コマで織田信長〜新しい経済政策、支配体制の構築をめざした変革者〜

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100年続いた戦国時代の終結へ、時代を大きく転換させた織田信長。残虐な暴君といったイメージもありますが、経済政策や新たな統治の体制づくりへ、建設的に取り組んだ武将でした。信長の功績を4コマでご紹介。

4コマで「織田信長」

解説

伝統を克服し新たな体制を築く

山川出版社の「山川 詳説日本史図録」は、信長の政策を次のように紹介しています。

信長の政策
伝統的な政治や経済の秩序・権威を克服し、新しい支配体制をつくることをめざす
(山川 詳説日本史図録(第6版))

有名なエピソードが「比叡山焼き討ち」。賛否はありますが、古くからの宗教的権威を持ち、ときに政治的、軍事的な力を持った仏教勢力を否定したことは、信長らしい行動と言えそうです。

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と比喩されるように、激しさや残虐さが強調されますが、それだけでないところが信長の魅力です。

経済を活性化させる関所の撤廃&楽市令

信長は経済政策を重視した戦国大名です。それまで、地域を支配する領主は関所を設け、通行料を収入源のひとつにしていました。
しかし、信長は関所を撤廃し、道や橋の建設に力をいれます。人の往来、商品の流通を盛んにすることで、経済を活性化させるメリットを選んだのです。

また、楽市令も信長の有名な経済政策です。戦国時代の城下町では商人から税をとり、営業を許したり特権を与えるなど、商業が規制されていました。信長は規制をなくし、自由に商業活動できるようにします。
ここでも既得権益を廃したほうが、利益が大きいと判断したのです。

新たな「価値を創造」した御茶湯御政道

中世以来の武士の主従関係は、「御恩と奉公」に基づいていました。主人は臣下が持つ土地の権利を保障し、手柄を立てれば新たな土地を与えます。臣下は戦に参加するなどの任務を果たします。

土地を媒介とするギブアンドテイクです。信長は土地以外の価値を用い、主従関係を築きました。それが「御茶湯御政道」です。

茶の湯を政治的に利用した織田信長の政策。信長は特定の家臣に茶の湯を許可し、茶の湯は武家儀礼としての資格をそなえることになった。こうした茶の湯の政治化が信長によって築かれ、豊臣秀吉によっておしすすめられたが、江戸時代に入ると、茶の湯の政治性は薄れた。
http://www.omotesenke.jp/cgi-bin/result.cgi?id=101

信長は、茶の湯という新しい権威をうみだし、臣下への恩賞として由緒ある茶器を与えました。臣下にとっては、信長からもらった茶器は、一国にも値する権威の象徴となったのです。

戦う城から見せる城へ壮麗な天主を備える安土城

戦国時代の城は、主に山岳の地形を防御に生かした「山城」が主流でした。堅固な石垣、壮麗な天など、私たちが抱く白のイメージは、近世の城にみられる特徴です。

信長が築いた安土城は、近世城郭のさきがけとなりました。安土城は平地に築かれ、石造5層7重の天主(安土城では天守を天主と呼ぶ)を備えます。
巨大な城郭を見せつけることで、信長は自身の力を誇示しました。このあと平和な時代に向かうにつれ、「戦う城」から「見せる城」へと城郭のスタイルを転換させたのです。

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