中東に100年消えない火種をつくったイギリスの「三枚舌外交」 | ソルバ!

中東に100年消えない火種をつくったイギリスの「三枚舌外交」

歴史

中東からは毎日のようにテロや紛争のニュースが飛び込んできます。なぜ、これほど不安定な政治、社会が続いているのか? その根源は、100年前の第一次世界大戦中に、イギリスが行った「三枚舌外交」でした。

4コマで「三枚舌外交」

解説

中東問題の根源は1914〜18年の第1次世界大戦にさかのぼります。
第一次世界大戦はヨーロッパを主戦場に、イギリス/フランス/ロシアなど三国同盟と、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国協商が戦った戦争です。
もっとも、途中でイタリアが三国同盟側についたり、ロシアで革命が起こったり、日本やアメリカが参戦したりと、状況は複雑なのですが…。

中東はどのように関係するのですか?

アナトリアから西アジア、アラビア半島にも勢力を持つオスマン帝国(トルコ)がドイツ側(三国協商)について、参戦したのです。イギリスはオスマン帝国と敵対し、味方を増やすために秘密外交を展開しました。

秘密外交…何やら恐ろしい響きです…。

イギリスは、オスマン帝国からの独立を狙っていたアラブ民族と、パレスチナの祖国を追われ世界中に散らばっていたユダヤ人の協力を得ようとしました。
1915年に「フセイン=マクマホン協定」を密かに結びます。アラブの独立を認め、旧オスマン帝国領内にアラブ人国家の建設を約束しました。代わりに、オスマン帝国への反乱をうながしました。

ユダヤ人に対しては、どんな約束をしたのですか?

1917年に「バルフォア宣言」を出して、パレスチナにユダヤ人国家の建設を認めました。パレスチナもオスマン帝国領内です。

アラブ人国家をつくる、という約束とは矛盾しそうです。すでに、パレスチナに住んでいる人もいたでしょうし…。

さらに、1916年にはオスマン帝国を大戦後に、イギリス、フランス、ロシアの三国で分割するという「サイクス・ピコ協定」を結んでいました。

うわぁぁぁ。モメそう…。
結末はどうなったのですか?

第一次世界大戦はイギリスなど三国同盟側が勝利し、ドイツについたオスマン帝国は敗れました。
そして、旧オスマン帝国領のイラク、パレスチナ、トランスヨルダンをイギリスが、シリア、レバノンをフランスが委任統治(国際連合から統治を委任された形)しました。

ますます複雑になりそうです。

ユダヤ人国家の建設は、第二次世界大戦後のイスラエル建国まで待たなければなりませんが、委任統治を受けた後、中東諸国は独立していきます。
イギリスとロシアは自分たちの利害で中東を分割しました。独立後も民族や宗教をめぐる対立が残り、国内外にひずみを抱えることになったのです。

参考:トライイット「世界史Bの映像授業」

まとめ


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