[ロシアの帝国主義と第一次ロシア革命]民衆を蜂起させた血の日曜日事件〜4コマでハラオチ現代史〜

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ロシアは西ヨーロッパ諸国と比べて、工業化におくれた農業国でした。19世紀末、半ば強引に重化学工業を発達させ、帝国主義にのりだしていきます。いっぽうで、国内では社会主義運動が高まり、ついに革命へとつながっていきます。

4コマでロシアの帝国主義と第一次ロシア革命

解説

1890年代、ロシアのロマノフ王朝では自由主義政治家のウィッテなどが尽力し、フランスなどの外国資本を導入することで、急速に重化学工業を発展させました。

しかし、農民は重税に苦しめられ、都市の労働者も低賃金、長時間労働、不衛生などの苛酷な生活を強いられていました。国民が貧しかったので、国内市場が小さく、せっかくつくった工業製品も国内では売れません。そこで、政府は東アジアやバルカン半島方面に向かって、帝国主義的な対外膨張政策を進めました。

いっぽう国民の不満は高まります。専制政治を行うロマノフ王朝は不満を汲み上げることをしなかったので、政府批判や革命運動が高まり、レーニンらはロシア社会民主労働党を結成。農民らによる社会革命党(エス・エル)、資本家たちによる立憲民主党などが結成されました。

そんな状況下、日露戦争のさなかで起こったのが「血の日曜日事件」です。首都ペテルブルグで労働者がデモを起こすと、兵士が彼らに向かって発砲。1000人ほどの死者が出ました。

これには、民衆が怒りました。全国で農民が蜂起し、水兵たちが反乱を起こします。労働者たちがソヴィエト(評議会)を結成するなど、革命運動が高まりました。第一次ロシア革命です。

ロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世は十月宣言を出し、国会(ドゥーマ)の建設、選挙権拡大、自由の拡大などを約束します。しかし、運動が鎮まると、政府は国会を無視して専制政治を復活させました。専制政治の打倒は、12年後の二月革命(三月革命)を待つことになります。

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